「ひととき」

2015年8月5日 水曜日

ハコニワ夏休みに入ってから、実家の父の通院が続き

運転手兼付き添いの数日を過ごしている。

昨日は通院に加え、母は近しい方の葬儀で長い時間家を空けることになり

母に代わって実家の留守番という役目も加わった。

父がスヤスヤと寝息を立てている昼下がり、いつもの時間の流れ方とは

まるで違い、私は新聞を隅から隅まで読んで時間をつぶす。

そこで目に留まったのが朝日新聞家庭面の「ひととき」。

 

家子さんという名前の71歳の主婦からの投稿で、

1944年、つまり終戦の一年前に生まれたその方に、

お父様は、皆が国のために死んでいくことが当たり前だった時代はおわり、

これからは家が大切な時代が来るとの思いを込めて、「家子」と名付けた。

その後、彼女の結婚を祝ってお父様の詠んだ歌、

「家々にあかりともれり ここにまた ひとつのあかり 吾子の家はも」

 

後に、その結婚により恵まれた長女に、彼女は「あかり」という名を付けたと

いうから、なんとまぁ素敵なお話である。

「私は71歳の今日まで、父が願った戦争のない日々を送ることができました。

元気に行ってきますと家を出た人が、帰りたかった家に帰れない。

そんな時代がふたたびくることもなく、みんなが家々にあかりを

ともし通し続けることができますよう、願ってやみません。」

そんな言葉で「ひととき」は結ばれていた。

 

そして、私は自分の名前のことを思った。

かわいらしくもなければ、個性的でもない「順子」という名。

幼いころから、この名になんとなく不満を持っていた私は

ある時父に名付けの意味を聞いたことがある。

「ただ順調に育つようにと思ったよ」という父の答えに、なんてつまらない

答えなんだろうと、少なからず落胆したのを覚えている。

でもあらためてその言葉を思い返すと、昨日はなぜかまったく別の思いが

こみ上げてきた。

親が子の誕生を前にして願う気持ちは、ただただ順調に育つように、

それ以上でもそれ以下でもないのではないか。

美しくあれとも愛らしくあれとも、才気あふれて未来にはばたけなどとは

望まない、ただただ順調に、と名付けてくれた父らしさと、

そこにある思いを受け取れたような気がした。

私は私で、実家でそんな「ひととき」を過ごしてきたのだった。

 

 

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