夏の日に思うこと。

2014年7月29日 火曜日

朝に作る桃のスムージーが、家族に好評だ。

真夏の朝、脂ぎった顔で起きてくる夫と息子たちを、

少しは爽やかにしてあげようという心やさしい妻ないし母に

彼らは何かしら感じるものはあるだろうか?

綺麗な桃色などに一瞥もくれずプハーっと

一気飲みする3人の顔を横目に見ながら、一抹の恨めしさを感じてしまう。

 

その反面、私はこの家族のお陰でこうして前向きに日々過ごせているのだな、

とも思う。

独身時代の自分を思い返すとき、どんなに自由にお金を使い、一人の時間を

謳歌し、好きなことをし、仕事に没頭しても、

なんとなく満たされない思いに、いつもつきまとわれていた。

結婚し、子供が一人生まれ、二人生まれ、その度に

心と時間の自由を失うことにあがきながらも、欠けていたパズルのパーツが

ひとつひとつ埋められていくような安堵感を感じた。

そして近頃は、年老いていく実家の両親のことを想うことも多くなり

そんな中で気付きはじめていることがある。

 

自分がこうしたいということよりも、あれもしなくちゃ、これもしなくちゃという

ことのほうが、私をまっとうに生きさせ、強くしてくれているのではないか?

私は他者を支えているように見えて、

実はその支えるという役割によって、自分が支えられているのだと。

 

そう思うと、日々家族のことに追われる慌ただしさをありがたいと思えなくもない。

むしろ喜びとしよう!と勢いをつけて、

しばらく後回しにしていた窓掃除をやり遂げた。

ジャージャーと水を流しながら、汚れを落としていく作業は私をとても

清々しくしてくれて、くもりのない窓と同じような

晴れ晴れとした気持ちを運んできてくれた。

 

最近の猛暑や、繰り返される中国の工場の肉の映像、「人を殺してみたかった」

と言って同級生を殺す女子高校生の心の闇、そんな暗いニュースを見ながら

息子がぼやく。「日本はどうなってくんだよ?オレ嫌だな。」

そんな声が今日もまた私を支えている。

せめて、親として大人として、子供たちにに恥ずかしくないことを

していかなくちゃって思えるから。

 

 

 

 

 

 

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